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神棚を祀る 家庭祭祀からはじめる

髙宮八幡宮では神棚を祀ることを一番にお薦めしています。人の人生は年と共に多くの事を経験しながら、次々に様々な問題が出て来るものです。そこで祭事や人生儀礼をはじめお願い事やいわゆる神頼みと言うことが行われます。私たちは神様より命を頂き生かされてるのですから、困った時だけでなく、神棚を祀り日々神様に手を合わせることが、いわゆる一番自然なお蔭が戴ける御利益があるとされるからです。

戦前までは日本人は朝日を拝み、井戸を拝んで水を汲み、釜戸に手を合わせ煮炊きをして、食べ物に手を合わせ、それを頂いていた訳ですから…。

神棚を祀り手を合わせることは、日本人なら遠い先祖から深層心理にある、安心立命のお約束なのです。

私たちは神の働き(自然そのもの)がなければ一瞬たりとも生きていけない存在です。私たちは起きている時ばかりでなく、寝ている時でさえも神のご守護が有るからこそ、あたりまえのように目を覚ますことが出来るのです。私たちは意識せずに自然に呼吸をしております。自分で心臓を意識して動かすこともなく、食べ物を消化吸収して体を動かすエネルギーにしたり、体を作ったりする大変複雑な仕組みを、誰しも何の知識もなく何の計らいもなく行っています。古代から日本人はこの生命の神秘な働きをムスビと呼び、私たちや動植物の生命だけでなく地球の自然環境や宇宙の天体の運行に至までこの神のムスビの働きと考えています。

私たちのご先祖である古代の日本人はこの神のムスビの働きを直感して、自然や人の生活の中で自ずと感じ取れるムスビの働きに畏敬の念を持って暮らしていました。私たちの知らない気付きもしない神のお蔭は真砂の数ほどあると言うことを、時には思い出して感謝しましょう。見えざる神霊の活動は、人の生活と片時も離れずご守護くださります。そして、家の神棚に朝夕に感謝の祈りをする習慣があれば、未然に事が収まり何事もないように無事に暮らしていけるものです。

◎ パワースポットブームと言われてます。しかし、自分の家を真のパワースポット(正神の鎮祭)に出来るとはほとんど知らないようです。

家をきちんとお祓いして、神棚を設け(正神界の)神様をお鎮めしたなら、その家中の雰囲気がガラリと変わります。さらに神様に熱心にお祈りを続けて下されば、神気と言われる御神霊の気が強く降りるようになります。そうなってきますと神棚でお供えした御神酒の味が甘くなり、佳い香りがしたり美味しくなるようになります。また、神棚の榊が枯れない。家に居ると落ち着き頭がスッキリして、呼吸が楽になり長くなります。やがてご自分の敷地を越えてご近所の雰囲気までも変わっていきます。神を祀ることによる、カラリとした明るい穏やかなその雰囲気は人を和ませ癒やしますので心地よく人が集まるところとなります。

【転勤先の仮住まいであっても、祈りは必ず神に 通じるのですから神棚を祀りましょう。】

◎ 正しく神を祀る重要性を知って下さい。(注 正神界の神を祀る)
人には神から授かった神と同じ霊魂(直(なお)日(ひの)霊(みたま))があり、そこに神が降りてこられるというのが人本来の真のありようです。

その為には浄心することが一番大切なこととされています。この世界で人生のあらゆる局面で心を清らかに保つ、それにはどれ程日々の積み重ねがいることか、並々ならぬ努力と気の遠くなる作業です。これで人が生まれてきたその本来の使命を全う出来るとすれば、真の幸せになれるとしたらためらうことはありません。すぐ浄心を心がけましょう。

神道では人は神の子とされます。人は(直日霊の働きにより)その本質たる性状として清明正直などの神性を有した存在であり、自ずからその清明正直な状態に立ち返ろうとするとされます。日本人は人の本性は神であり善なるものとしていたわけです。それで日本人は人を信じる、お人好しこそ素晴らしい人であると、昔から信じているわけです。

それは繰り返しになりますが、日本人は神の国に生まれた神の子であり、自分たちのご先祖が神に繋がる神の末裔です。人は神の分霊である直日霊を止める人=霊(ひ)止(と)されているからなのです。

朝には洗面所で顔を洗い、晩にはお風呂で全身を洗うように、まず神棚を祀り自分の心を洗い清めましょう。効果的に網羅的に行うには百日行をお薦めします。心身を健全にして開運する霊験は多くの方が実証済みです。

◎ 神棚を祀ることは一番〝ありがたいこと〟の始まりと知っていて欲しいのです。それは取りも直さず日本では神様が人と親子関係を持って、生き生きと活動されているからなのです。

ご先祖の慰霊供養であっても神仏という言葉が示すように、神様へのご挨拶がなければ片手落ちどころか、まともに祈りが届くかどうかも解らないものです。神様は人の魂の親として死後人の魂を神となれるようにお導きいただきます。

◎ 神棚を祀りお祈りが常のこととなれば、人は自ずから浄心に向かい、やがて小さな落ち着きや安心を得ていることに気付くでしょう。その日々の繰り返しの中、神と共に暮らしてきた高貴なご先祖の心や生き方が、自然と移り来るのを人それぞれに受け止めていくようになります。それは浄心を心がけていると神霊との交流が始まり、やがて神霊の導きにより、さらに浄心が起こるからです。やがて、顔つき物腰にも変化が起こり、あまり物事を悔やまなくなり、欲は淡くなり、自分中心の考え方が少しずつ薄くなっていくようです。

執着を離れ心が穏やかになっていくのは一つの悟り、悟りとは自分で得るものでなく神から賜るものです。

◎ そして今、我が国の国難と言えるこのとき、神国日本であることに思い至り、祭政一致でこそこの国が栄えることを思い出してほしいのです。自国の文化を失った国、その民族は滅ぶしかないと言われてます。今や文化どころか全ての価値、我々の生命の源、命そのものの御神霊を見失ってしまっているのです。
政治家に祭政一致を求めているのではありません、国民が神心を取り戻せば神意が民意と等しくなります。人々の心が神への敬いとして神を動かし、神の働きにより人が動いてこの世が変わりはじめます。祭政一致は私たちの祈りや心がけにかかっているのです。祭政一致とは神意を受けて行うことであり、神意を受けることは私利私欲を離れ己を捨ててこそ出来ることです。浄心して私心無きが故に道に至る、無心こそ最上の方策となり得るとしたのは、人が浄心しておれば自ずからそこに神意を受け得るとしているからなのです。

◎ 人は神意から離れて傲慢になり、これからどれ程の天変地異、社会不安が起これば人は気付くのか、それとももうすでに手遅れの所まで来ているのでしょうか。日本以外の国は本当の御神霊を見失って、数千年を過ぎています、今や世界が気付くにはまず日本の国と日本国民が気付くしかないのです。

◎ もし日本人が神意に違っていることに気付き日本の国がお手本を示せない時は、この世は滅亡に向かうものと思います。大東亜戦争では傲慢不遜になり日本人は道を外れた感がありますが、戦後多くの苦しみを受けましたが植民地解放と人種差別撤廃を可能ならしめました。

少し大げさに感じられますが、自国やその日本人の為だけでなく、世界の為、日本人である神国の民は多くの苦しみ困難に怯まず、神意を本にこの地球を救う使命があると思っております。

是非とも皆様、御神霊に出会う祈り、御神霊と共に生きる生き方を志向致しましょう。それが自分をはじめ家族を幸せにします。そして世界を救う道を指し示すことが出来る唯一の道なのです。

産土の 神達祈り 子孫(うみのこ)の

八十(やそ)次々に 栄(さかへ)行け人

(正神界と言う言葉をあえて使いました。悪霊・邪霊という存在が神霊を装って表れることもあります。神社であれどこであれその場所が穢れると悪霊や邪霊が紛れ込んできます。その時心を浄めておくことが、禍々しい事に遭わないためには何よりも大切になります。)