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 神仏先祖(シン・ブツ・ホトケ)を祀る 先祖供養の重要性(功徳)2

蔭祭(かげまつり)をする。
仏壇、位牌の無い家でお供えをしてお祈りをすることを蔭祭と言っています。
 悩み事の相談でいつも気が付くことはご先祖の供養が充分でない方が多いことです。ご自分ではきちんと祀っているつもりで「仏壇はありませんが、先祖のことは粗末にはしていない」と言われる方でも、盆と正月にお墓と実家の仏壇に一~二分手を合わすぐらいのことで、また自分の親の年忌供養といっても一生の内五~六回行う程度のことです。
 私どもは赤ん坊の頃のおっぱいはもちろんのこと、大きくなるまで日に三度の食事を欠かさず親からいただいたはずです。それをすっかり忘れて親にさえ死んでしまえば何もしないとは親や先祖からは「恩知らずの極み」と言われても仕方がないでしょう。 そして、浮かばれていない先祖からは強い催促があるはずでそれを無視し続けた結果が不運、不幸、病気となって出てくるものです。本人がご先祖のサインに気が付かないときはそれは子供や孫に行くようになっています。
 誰であろうと先祖は居られるのです。その自分の命の元である先祖を大切にしないのは自分の命の元を断ち切るに等しい行為といえましょう。
仏壇が無くても出来るこの蔭祭は幸福開運の元、不幸や病気にならぬ元です。神棚を祀り蔭祭をするという習慣は明治頃までは宗教や信仰と呼ぶ以前の人として当たり前にしていたことです。
 近頃の日本人の生活で変わってしまったことは、人が神仏先祖に対して信仰の念や畏敬の気持ちを失い、果てはその存在さえ顧みず目に見えないからいないと決め込み忘れきっていることです。
 近頃頻繁に起こる、凶悪非道残虐な事件は少し前までの日本では考えもつかないことです。これらのことは教育や社会の問題であると共に神や先祖と関わる日本人の霊性の問題です。日々の生活の中で神先祖を祀り、私たちの感性や理性の源になる深い心の奥に神先祖が当たり前のように居られる、そんな霊性をみんなで共有できるよう一日も早くなりたいものです。               (続く)