師走一日、月初めの月次(つきなみ)の御祭り
〜〜社頭講話より〜〜
おはようございます。
寒い中、ありがとうございます。
急に寒くなって、堪えますね。例年これくらい普通だと思うんですけど、急に寒くなったんでガタガタします。
信仰法に関して、どこかでちょっと狂っちゃうんですよね、
人間その時になって心境が変わる、後で気がつけば良い。
あとになって気がついて、若い時のことを振り返って若気の至りとか言ってるんですけど、
若気が至らずそのまま持って行っちゃったら大変なんですけど、どこかで気が付けばと思います。
白鵬のことを悪く言うつもりはないんですけど、登り詰めれば登り詰めるほど「頭を低くする」と言うのが日本の文化なんです。
神社に来たら分かるんですけど、一の鳥居の下だと頭も下げないで行きます、
だんだん近づいてくると、深々と頭を下げてくる。
中に入ると私事、私語をしない。
この上(祭壇)になると、私語私事をすることはまずない。
今日は寒いから晩ごはん鍋がいいなと思うことはあっても、ここで何にしようかと打ち合わせることはまずない。そう言う場所。
と言うことは、近づけば近づくほど低姿勢になる。
これは何かと言うと「神に近づく」と言うこと。
「相撲」は神様に奉納すると言う神事なんですよね。
横綱は「しめ縄」をしている。
「自分を神の御神体とする」と言う意味。
だから、並並ならぬ生命力を宿したと言うこと。
それに対して神が寄ると言う考え。
横綱に一番大切なのは力量ではあるんだけど、精神的なことが一番大事。
神に近づいたが碌な人でなかったら、神に近づく必要はないわけですよ。
そう言う意味では、日本の国技と言われて神事として行われている「奉納」ですよね、
一番神に近づくと言うのが、横綱たるもの。
一番頭を低くしていなくてはならない。要するに一番高いところまで行っているわけですよね。
御殿で言えば、前まで来ている。そうすると頭を下げなくてはならない。
もっと言うと、祭壇の上に上がったら、「立ってはいけない」
だから膝をついて動く。
そう言う動き、横綱はそうならなければならない。
ところが日本はどこに行ってもなってないですよね、
昔は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
地位が上がったり、それなりに成功するとそう言う風に人格も磨かれていかなくてはならない。
ヨーロッパとかアメリカは違うんですよね、
「自己主張」
西洋文化が入って来て、これが日本人が大きく変わっていることなんです。
今回、大阪の市長さんが、サンフランシスコ市との姉妹都市をやめる。
その理由は分かるんです。
ただサンフランシスコの市長は、名前が「リーさん」と言う。
慰安婦像を作って、リーさん、中国系かもしれない。だからそう言う圧力があって作って、
日本のマスコミはそう言うことを一切報道していない。
神様に近づくと頭が低くなる。
もっとも頭を深く下げておられるのは天皇陛下。
天照大御神の子孫として、毎日、国民のこと、世界平和を祈って頭を下げておられる。
それを、我々は見習って行く。
ですから今回、相撲で思った、なんか違和感があるんですよね、横綱として。
それは、神事として、「神ごと」とすれば、高いところに近づけば近づくほど頭がさがる。
日本文化の、一つの大事なことがちょっとずれている。肌別れしているなと思います。
残りあと1ヶ月ですけど、健康に気をつけて、ますます自らの「たま」を磨いてください。