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弥生一日月初めの月次の御祭

弥生一日月初めの月次の御祭
〜〜社頭講話より〜〜

どうもおめでとうございます。
春が来たなぁ、と思ったらついに三月になってしまいました。

飛行機で海外へ乗ることがあって、日本人は、日本の飛行機が一番合っているなあ、と思いました。
なんでこんなに安心するんだろうと思ったら、
客室乗務員の方々動いている、その動きがきれいで安心するんです。
荷物を上げたり下ろしている所作が、お茶のお点前を見ている美しさがある。
みなさまご存知のように日本人は、神様と一緒に働いている。
お米を作る時も、神様と一緒に働いている。
機織をする時もそうです。

天皇皇后さまも、お米作りや機織をされるんですけれども、それが古事記、日本書紀の中に書いてあります。

神様と一緒に働く。

だから高天の原、神様の社会もちゃんと農耕の仕事をしたり、機織をして働いている。

キリスト教は、神の世界に労働はない。
で、りんごの実を、ヘビにだまされて知恵の実を食べて、
知恵がついた罰として、エデンの園から追い出される。

その罰として、男性は働くこと労働の苦しみを味わう。
女性は出産の苦しみを味わえ。
日本と違って、労働の喜びはなくて、罰として、キリスト教の方は仕事をしている。
罰として、女性は子供を産み育てる、という概念があります。

日本は逆なんですよね。

神から選ばれたから、お米を作って食べて生きなさいと、古事記の中で言っています。
そして仕事をして、神様も仕事をしていらっしゃる、その違い。

インドの方仏教では、極楽浄土、西方浄土に行きたいとみなさん思っている。
なんで西かというと、日が照って暑いから、日が暮れた方が涼しいから、なんです。
ですから向こうでは沈む太陽が、日本では昇る太陽が大切なんです。

「月の砂漠」という歌がありますが、シルクロードを渡る時には、日中は暑いので、月が出た夜渡るでしょ。
それ位価値感が違うんです。

ですから我々日本人は、働くときは神聖で、神と共に働くと思ってる。
ですから丁寧で、人が見てなくても、人生で自分の価値を全てかけてやる。
相手が居るか居ないかは^_^関係なく、自分のために一生懸命やる。
それが自分の自己確立のためになっている、そういう感覚があるんです。

ですから、日本人の体の動き、仕事の感性は美しくなっているんです。

逆に向こうは、ヨーロッパの人とか、特にアメリカの人の一部は、仕事をしないのが尊いんですね。

ですから神に愛されている人は、若いときにリタイアして、年金暮らしとか、資産、不労所得で暮らしている、それが理想で、日本と全然違う。
それを我々はきちんと伝えて行きたいと思う。

だから日本と世界の人では、働き方仕事の仕方が違う。

流行った言葉で「おもてなし」という言葉がありますけど、相手のことを一生懸命考えてやるから、おもてなしにんですね、
サービスのお金を貰うかどうかの話があって、だから相手のことを考えてサービスするということは、あんまりないんです。

だから日本人って不思議だなあって思うんです。
それはきちんと外国の人に伝えなければと思います。

日本に来たいと思ったり、中国でもデパートで日本式の接客をしたり、料理も高級なところに行くと、日本式で、きちんとつぎ分けて出してくれます。

日本人がやっていることが、世界で一番素晴らしいということがある。

ですから我々はそれを最強にして、きちんと伝えたいと思います。

日本人が働くなら、西洋人の1.5倍位の給与を出せ、というくらいの気持ちで、そうしたら日本の文化が伝わる。
それくらいの自信を持って、我々は生きていきたいな、と思います。

戦後ずっと、とても日本が悪い国であったという文化がずっと流れた、それをそろそろ払拭しなければいけないなと思います。

飛行機の中で、サービスの仕方が全然違う。
向こうは寝ていて、飲み物飲み物サービスがあったらそれっきりなんですが、

日本だとわざわざアナウンスして、眠られていた方がいらしたが、起こすと失礼なので、起こすことはしませんでしたが、要る方がいらしたらお声掛けください、お持ちしますからと、そういうことをきちんとやっていく。

そういう心のこもったサービスが、日本人はできる。
それはなぜかというと、神と共に我々は働くという意識があるとともに、神がいつも我々を見てくださっている、そういう意識があるからだと思います。

それは日本にしかない文化なので、誇りを持って伝えていってほしい。

日本は残念なことに、言葉化、言葉にしたり、理論化したりするのが意外に下手で、そのままやってる。

ですから理屈ではなく、親の姿を見て学びなさい、先生の姿を見て学びなさい、

日本人が一番こんな風になりたいと思うのは、 天皇陛下と皇后陛下の後姿ということだろうと思います。

人のためにずっと祈って、そういう後姿を見て、我々の先祖は色々学んできた。

我々も、恥ずかしくないような後姿を、子供達に見せなくてはならないと、ふと思いました。

今日はありがとうございました。