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日々の祈り

毎日神棚や仏壇に手を合わせる事が習慣になっているお宅には、神仏が祈りに合わせてその家に来られている。そのように感じられる神々しさや荘厳さ、心地よさがあります。

神仏先祖は姿形は見えないものの気脈が通じるという言葉通り、感じ取ることの出来るものです。お祈りが神仏に通じるようになると祈りの中で瞬間的に気分が変わり、神仏の守護を感じ取ります。お祈りを継続的に行うと心の状態、体調や嗜好さらには考え方まで変化します。外見的には健康的で明るく柔和な感じになり、一見すると何の問題もない幸せそうな人という印象を持たれるようになるようです。総じて女性の場合は集団の中に居ても人目を引く雰囲気を持ちます。さらに神霊に通じると厳かな威厳を持つようになります。

また、人は自分の持つ直日霊に神霊を感じ取りますから、無意識的に受け取ることになります。その時々には感極まることもあれば、それとは気がつかないこともあり、一瞬にして人生観が変わるようなヒラメキを受け取ることもあります。人は意識せずとも日々の祈りの内に神霊との感応を繰り返して徐々に変わっていきます。時に大いなる存在を感じ取れれば、人とは神仏先祖によって生きて生かされていることに思い至るようになります。

いわゆる覚りといわれるものは神霊から頂くものです。高宮八幡宮では多くの方が家庭でお祈りを続けられていますが、随分と心境が進まれた方が多くおられ、清々しい品格を身に備えられています。日々の継続の力と御神霊のお導きの有り難さを感じます。
体調や精神面さらには仕事運など良くなることはもちろんありがたいことですが、本人の考え方が変わる、生き方が変わるというのが一番素晴らしいことで、それはあの世まで持って行ける宝を頂くことと言われています。

元内掌典髙谷朝子様が『宮中賢所物語』の冒頭にて、「若い内掌典がだんだんと奥深いご用をさせていただきます時、神様の尊さに畏れ入りながら、目に見えませぬとも自然に神様の御光を戴きまして、身も心も磨かれてゆき、たとえようもございませぬ清々しい品格が身に備わりまして、美しさに輝いて見えましてございます。」中略「賢所様の尊い御用をさせて頂きました無上の光栄と、自ら戴きました御光を一生伏し拝み…」と書かれておられます。

本人がそれと気付かずに戴く御光にて、品格を備え変わっていくこと、そしてその戴く御光こそが無上の物だと言うことが伝わる神道秘事の大変貴重な内容です。

此処で御光と表現されているのは、神気のことであり、畏れ多い森厳、静謐な気のことです。そして、自らの直日御霊に御光を受け取る様子が伝えられています。

私どもでも家に祀る神棚の前で祈ることで、賢所にお使いされておられる方と質と量の違いこそあれ神の御光(御稜)とともに暮らすことが出来ます。

神仏に祈ることでご先祖の御霊の浄化(供養)をして頂くと言うことも大切な事です。

神仏の導きを受けて亡くなられた御霊は浄化致します。先祖が浄化するには子孫の祈りによって、神仏の導きを受けなければなりません。そのためにご先祖は子孫に神仏に祈って欲しくて色々とお願いや注文をしてくるのです。そのことを理解しないままいますと、ご家族に体調をはじめ多くの問題が起こってきます。それを障りや霊障と言っておりますが、それは子孫が当然すべき事を怠り疎かにしているからです。

日々の祈りの中でご先祖を思うひとときを持ちましょう。それは(敬神崇祖)少し前まではどこでもいつでも見られた光景でした。日本人は神とご先祖と共に起き、共に働き、苦楽を共に過ごしてやがて自分もそのご先祖に迎え入れられるとして暮らしてきました。
子孫はご自分の家に位牌や霊爾が無くても先祖から受け継ぐ御霊が有りますから、いつでも先祖のことを思えば繋がります。それで仏壇が無くても先祖へのお祈りはすべき事でありますし、それが無事に暮らす為の備えとなります。

そして、私たち人は決して一人ではない、見えざる神仏先祖と共に生きていると言うことを忘れずにいて下さい。