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憂国の情と望郷

憂国と言う言葉が死語になり遠い昔の事になったのはいつ頃からなのか?。
  (祖国の将来、行く末を心配する心持ち。)

戦後教育は個人主義を礼賛し、国家や国家観に関する事がらは全体主義そして軍国主義に至ることとして排除し続けました。それは国内の反日教育と言われています。

少子化の問題が近頃問われていますが。この問題の根底には国内の反日教育によって憂国という言葉が死語になってしまった類の、価値観の変容が有るように思います。

過疎が進み子供のいなくなった集落はやがて無くなります。当然、世の中であれ国家であれ同じ事になります。それで子供が生まれそれを育てると言うことは、社会の最も重要な価値の一つになります。先日、中学校の校長が集会の場で出産と養育の重要性を述べたことに対して、マスコミでは司会者や教育のコメンテーターが懲戒免職に値すると…言っていました。この偏向ぶりと異常さがまかり取っていることの恐怖、そしてそれが暗雲垂れ込めた将来を予感させます。

それでまず家族、地域社会、国家の将来を顧みない世の中の風潮が変わらなければと念じます。日本の国は「和の国=大和」他者のことを思いやって来たはずです。その発露が憂国の情なのです。東日本大震災の時に、被災した女の子に食料を渡したところ「自分より困っている人が居るからその人達に渡して下さい」と、小学生の女の子が言ったという話や同じ類いの話は随分聞きました。また、自分が困っていても他人に迷惑をかけないように整然と並んだり、被災者同士が助け合っている姿が国際的に大きな反響を呼んだこともありました。そんな折にはとてもありがたく、日本人として嬉しく誇りに思えました。

日本は世界に類を見ないほど、ご自分の子供は当然ながら他人の子であっても、またご自身に子供がいなくても、子供達を大切にしてきました。そして子供達は世の中が存続される為の第一の要件なのですから、世を憂い国を憂う気持ちがあれば、自ずから少子化問題のすべき政策は調うはずです。

憂国の情は他者(人々=世)を思い憂う心情であり国の成り立ちにも関わる、日本人にとって大切なことがらです。「和の心」を家庭で大事に伝えて、教育の場や社会でも充ち満ちた世の中になって欲しいと思います。

○三月十九日当社では彼岸祭を行い神様に氏子崇敬者の先祖への真心を受け取って頂き、氏子地区のご先祖の尚一層の浄化をお願い致しました。そのお祈りの中に氏子で靖国の英霊や善行によって神様の一柱としてお使いになっている方に、御礼と益々の御守護をお祈りするところがあります。

靖国の英霊となられた方々が矢玉尽き食糧も尽きてしまわれる中で、どれ程の望郷の思いを抱かれたことか…。妻や子、親兄弟、友人、故郷…そしてそれらのことを思いつつ、ご自分の苦しみや無念な思いを、憂う心へと昇華されて行かれる。神霊の導きを受け、遺族の祈りを受けて御神霊へと浄化されて行かれる。お祈りする一方そのようなことが思い浮かび、祝詞を読めずに感涙にむせびました。

まさしく人が神霊となれることわりを感得させて頂いたと思いました。霊學では浄心に始まり浄心に終わると習いますが、人の生死の時、己を忘れ他者や皆のことをを思いやること。これは人が神霊となる分かれ道であるようです。

【人は当然ながら自分一人では生きていけません。私どもは生きて活かされていると言っていいでしょう。それは一つには命を継承してきた親先祖のお蔭であります。そして自然環境(天地・神格として天照大御神・大地主神)や社会環境(社会、世間様、共同体・神格としては大国主大神・国魂神・産土神)をも私どもの命を支える父母として考えてきました。人が自らの命を思う時、親先祖、自然環境、社会環境を自分の命の元として感謝申し上げ、その命の元の行く末を憂いて来たのです。=天地と共に生きる日本人の感性】

靖国の英霊はご自分の様々な思いを、人を憂い国を憂う心情にご自身で昇華され、神霊の導きとご遺族の祈りを受けて浄化が進まれて、一柱の神となられているものと拝されます。

地域の守護神として産土の神と働かれるご先祖の神々、英霊として働かれる神々、私どもは気付かないけれど様々な御神霊より厚い守護をいただいてます。私どももいずれ神の一柱に加えて頂き、お返しが出来ればと思います。