(ニ)食べ物
○神々の 賜物なりと よく悟れ
一粒の米 一滴の水 (二六九)
昔は「一粒の米にも神宿る」といって、ご飯を戴くときにも食前食後の「戴きます」「おごちそうさま」は無論のこと、「一粒も残さぬように」厳しく躾けられたものである。昔とは違い、今日は食べ物も豊富にあって、ホテルでの宴会の後を見ると、中にはたくさんの食べ残しがあり、今此処に食糧不足の国の飢餓に苦しむ子供たちがいたらどんなにか喜ぶだろうに…と思うこともしばしばである。
神からの「賜物」を「食べ物」と言い、故に「戴きます」「おごちそうさま」と言うのであるが、これを子供たちに「当たり前」と思わせるようであっては、家庭のしつけなど無きも同然であろう。それであっては、例え魚一匹、菜の葉一枚でも、私達人間の為に命を差し出してくれた多くの生き物たちの、その生命が輝かないではありませんか…。
○飲むにつけ 食べるにつけて 心せよ 神への祈り 夢忘るるな (一五四)
食べるものは 皆神々の 造りもの 知り て頂く 氏子しあはせ (二六八)
食べる時 神におん礼 よく申せ
あら尊さの 賜りものと (二七〇)
○食べものに おん礼申す 氏子なら
胃腸の病ひ あるべきもなし (二七一)
明治以降、政府の近代化政策と共に、西欧の文化が怒涛の如く押し寄せてきて、わが国の食文化にも多大な影響を及ぼすに至った。それまで穀菜食が中心であり、動物の肉は「四つ足」と言って山で暮らしを立てている人々が食する以外には普段食べなかったものだが、今日では誰もが肉食を中心とした生活に豹変し、そのために、体内の血が汚れ、多くの諸病に冒される人が増えてきた。
○生きものの 血で汚すなよ この身体
食細くして 心清かれ (一八五)
おまけに今日では、魚や野菜など沢山の食料品が海外からの輸入でまかなわれ、各家庭の食卓に並ぶ時代である。それ等は輸送途中で鮮度が落ちないようにと、日本に着くまでに様々な化学薬品を使用するために、その身体に及ぼす危険性を感じ取る人達も居て、ために無農薬の野菜などが高くても売れる…といった状況を引き起こしている。
日々口にする「食品が危ない」…といった現状に私たちは今、晒されているという訳なのである。神経質な人々は一体何を食べたら安全なのか、安心して食べるものが殆ど無いというのである。そして安全な食材を求めて苦労している姿を見ると、一体文明とは、豊かさとは何なのであろうかとさえ思えてくる。また、健康保持のための様々な栄養剤や漢方薬、健康補助剤としての医薬部外品が出回っており、一体どれがどの位効くのかも不確かで振り回されるほどの数である。神には米・塩・水と共に四季折々にその地で取れる海川山野の旬の初物をお供えするが、この御神前に御上げするものと同じものさえ私たちが食べていればそれで十分であり、「病いなし」と言われたものだが、今日の食生活の乱れ具合いは尋常ではない。
○何を食べ 何を飲まむと 煩ふな
只神任せ 神のみ恵み (一四一二)
何を飲み 何を食べんも その場のみ
心にかくるな 心無限ぞ (一二九五)
○食べ物を 不浄になすな 氏子等よ
すべての病ひの 元となるぞや (二七三)
○食細く 息深く吸え 身をそゝげ
心平らに 神の座につけ (一〇三二)
何事も「腹八分目」とはよく言うが、神霊は「食細く」と教えておられる。その人の一生の食べ物の量は各人生まれ乍らにどうも定められている模様であり、日々たらふく食べていれば自然、己れの寿命を食べ減らしていることにもなる。
たしか水野南北であったか名前はうろ覚えであるが、易者から「短命」と言われてショックを受けた彼は、それから日々の食を減らし素食に甘んじた生活を送っていたら、何と何時の間にか短命の相が長命の相に変わっていたので、易者が「あなたは一体何をしたのか」と不思議そうに尋ねた…などといった逸話を何処かで聞いたことがある。(※安永~文化・文政の頃の希代の観相家で、日拝の功徳や節食開運法を説いた。)
食べ物は 神の与ふる ものなるぞ
神に背けば 困る道理じゃ (一四一一)
私たちはこの肉体を養うためには食べ物が大切である事は言うまでもない。しかし「人はパンのみにて生きるにあらず」である。肝心要の己れの本体たる霊魂に栄養を補給することを、私たちはいつも忘れてはならないのである。見てくれや外分を飾ることばかりに囚われた生活をあらため、自己の内分を美しく磨き、かつ豊かにすることが大切ではないだろうか。まるで聖人のような人とまではいかなくても、せめて心の美しい人、慈悲深い人、理非分別に明らかな人、心の練れた人、腹の出来た人、人情の機微が分かる人、思い遣り深い人、心優しい人、気品(品性)ある人にならせて戴かなければ、この世に生み出して下さった神・佛(親先祖さま)に対して申し訳ないと思うのである。
○食べる事 それよりも尚 神の座は
我が本体の 霊の養ひ (一五〇四)