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(ハ)疑いと慢心 続き

いつの時代も、何処にでも侒奸な輩は居るもので、今日、学問の神として親しまれる、かの右大臣の地位にまで登りつめられた菅原道真公さえも、藤原時平らの讒言によって大宰府に左遷されたことは誰しも知る通りである。彼の死後、藤原氏たちが宮中で雷に打たれて怪死するなど、次々に変死したため、これはきっと菅原道真公の祟りであるとの噂が立ち、以後その怨霊の鎮魂のために神として祭ることになったのである。

そして例え当初は「怨霊」として祭られたものとはいえ、悲しみのうちにその生涯を終えられた菅公に寄せる世の多くの人々の深い同情と憐れみの心情こそが、こんにちまで天満宮の信仰を支えてきたのであり、私たちはそこに敗者や悲運に斃れた者に寄せる日本人のうるわしい憐憫の心情というものを見ることができるのである。

悩むなよ 悩む病は 世にはなし
皆吾が魂の 昇るもとなり   (一四八二)

神造る 道は一筋 まぎれなし
己が迷ひで 二筋と見る    (一六七六)

○踏み込むな 迷ひの道を よく見分け
正しき道を 進め進めよ    (二〇一九)

仇な思ひ まず投げ捨てて 神の前
神只神と ひれ伏して見よ   (二〇九四)

限りなき 神の力を 受けて見よ
身の定めなど 如何様ともなる (二〇九五)

身の定め 己が心で 握る時
己が迷ひは なほ深くなる   (二〇九七)

秋と冬 けじめつかぬが 神の道
つけるは人の 迷ひなりけり  (二二一〇)

○踏み迷ふ 道に吾れ居り 迷はぬと
思うが人の 迷ひなりけり   (二二一一)

さて、神の道であれ、他の如何なる道であれ、それを志して歩む人々が「魔」に狙われつけ込まれぬよう、「油断」なく十分に気をつけるべき「魔の罠」として、「欲心」・「疑い」・「迷い」と並んで、「慢心」という恐ろしい罠がある。

○慢ずなよ 慢心すれば それ迄じゃ
神の救ひを 吾が断ち切るぞ   (一五六)

恐ろしや 神とはなるる そのもとは
慢心おこす ことにこそあれ   (一五七)

神仏の御守護によってどうにか生活も立つようになり、身の回りの心配事が取り払われて、万事が都合良く回って行くようになってくると、誰でも「やれやれ」とばかりに苦しかった時を忘れて「ホッ」と気を抜き易いものである。

その内、チヤホヤ誉めそやす取り巻きの者らが出てくる時が要注意。単純な者はそれこそ己れの身の程も弁えずに、それらの者のおだて車に不用意にヒョイと飛び乗ったりしてしまう。愚か者ほど「先生、先生」などと呼ばれようものなら、いつの間にか本当に自分が偉くでもなったかのように錯覚し、人も着ないような色とりどりの着物や金ぴかの着物を着用し始め、だんだんと自慢の鼻が伸び出してきて、「生き神・生き仏」などと言われようものなら、何と終いにはどう狂ってしまったのか、神仏に代わって自分が御簾の中に入ってしまう等の愚行を平気でやりだすものである。

○慢ずなよ 慢心こそは 身を破る
いばらのとげと よく心せよ  (一九八五)

なんとも恥知らずも甚だしいが、これらはすべて「油断」「慢心」が元となって、何時の間にか年月を経たつまらぬ「白狐」や「古狸」どもに憑依されてしまったからである。

人は信仰の徳によって神々から或いは佛さま方から如何に「神力」や「佛力」を戴こうと、或いは「神階」を戴こうと、所詮「人は人」なのであり、生ある内は如何におだてられようとも、決して御簾の内に入るが如き恥知らずな愚かな真似をしてはならないのである。恐るべきは「慢心」という罠である。ご用心、ご用心。

○神の道 開く開かぬ 只それは
慢心起す 起さぬにあり    (二八八)

○油断すな 慢心するな 神の道
道ははるけし 峯は高いぞ   (二二三二)

何事も己れの身の程を弁えて、調子に乗らずにどこまでも謙虚に、一歩一歩神の御前を這うような気持で「下座に徹して」進めば、間違いが無くて結構というものである。この世のことは一切神仏にお任せし、私達は、いつも明るい未来をみつめながらその日その日を自分らしく淡々と生きて行けばよいのである。

○先の事 暗く考え 歩くなよ
たださんぜんと 光り見つめて (一一一四)

定めなき 浮き世の事に とらはれて
あゝ 危いぞ 先の世のこと  (三五六)

己が力 己が力と 慢せずに
己れを捨てて 神を念ぜよ   (二二三九)

世の中に 心配と云ふもの なきものぞ
神に任せて その日を送れ    (二一二)

これまで何度も言ってきたように、「信心」「信仰」の真髄はただひたすらまことの神を「信じる」事のみに尽きる。ところが人は頭では分かっていながらも、なかなか心の底から神に任せきれない訳であるが、他にこれ以上言うことはないのである。

先のこと 心配するは いらぬ事
暗き心は 神にあづけよ    (一〇〇九)

先の事 心配すれば 神の息
神の恵みを 己が断ち切る   (一〇一〇)