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遷宮の思いで(四)

社務所

大正八年に建てられた社務所兼宿舎をはじめあらゆる建物がシロアリの被害と老朽化して改修不可能な状態でした。

しばらく参集殿を社務所とお札所として使っていましたが、そのうち畳ごと床が落ちてしまいました。御神殿の御造営が目標で奉職したのですが、それ以前に日常の業務にも支障を来す有り様で、問題が山積しており御遷宮の計画を立てるような状態ではありませんでした。中には御造営に積極的でない向きも有り、ご造営自体ができない懸念さえ感じられる状態も度々有りました。

しかし、位の高い神様を祀っているので必ず宮司が常駐することを守ってきたこのお宮、これを守る為には戦前それも明治生まれの自分たちが生きているうちに、建て替えないと神社がなくなってしまうと言う、ぶれない思いを前宮司をはじめ責任役員(古老)がもって居られました。それは大和心といわれるものであり、現代日本人が戦後失い続けてきた日本精神の表れと感じられました。

古老方のその崇高無私な心情に私(宮司)も妻も打たれ、肚を据え万難を排して御造営を行うと御神霊にお誓い致しました。親族をはじめ相談する人々からはことごとく御遷宮は無理のようだから、家族のことを考えて早めに諦めるように忠告されました。それがちょうど赴任して三年目の時でした。

潮目が変わったのでしょうか本気で御造営に心を向けて協力して下さる方が増える一方、おおしけに見舞われたような様で、それは神社運営の根幹を揺さぶり、個人的には私をはじめ役員方の家族等々に有りとあらゆる災難が続きます。その時にはこれが神からのお試しとは気づくこともありません。ただもがき続けるだけでした。