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(イ)あの世とこの世 2

これまで仏教が説いてきた事柄は全くの出鱈目だったのでしょうか。

まっ、人間の考え出した宗教だから仕方ないか。だが、もう死んですでにこの世に居ない私たちの家族や知人たちは今、どこで一体どうしているのでしょうか。折角、高額な葬式料を払ったのですから、悟り顔した檀那寺の僧侶たちに一度聞いてみては如何でしょうか・・・。

 かくり世の さまも見せたや 氏子等よ
  めぐりめぐれる 罪のありさま  (一〇一)

 此の世にて 修行怠る 霊たち
  その有様を 見てやりたや     (三九三)

生きている時は結構幸せそうにしていた人たちも、死んだ後はどうも分が悪いと言うか、決して楽ではなさそうです。だって、「この世の修行」なんてしてた人は誰もいないし、またそれが何であるかも分かってやしないんだから・・・。皆、あの世のことなんて考えてみたこともないし、常日頃、男性はお金儲けや立身出世の話ばかりだったし、また女性は美味しいものを食べたり、好きな衣服や装飾品を買いあさったり、彼氏やカラオケや旅行の話ばかりしてたし・・・。「道を求める」なんかしたこともないし、大体「道」って何?。神様って本当にいるのかしら?。何の「行」もせぬ努力なき僧侶の読経など、いくら頼ったところで何の救いにもならないということが良く分かるであろう。

 飲まずとも もの食べぬ共 それよりは
  神のみ教へ 聴くを急げよ     (六三一)

 今聴かず いつの世とてか 聴くならむ
  いつの世とてか 神を知るらむ   (六三二)

このように、人はなるだけ深刻な事は考えたくはないし、出来ることなら何も考えず、ただ楽しく愉快にこの世を過ごして死ねたらいい・・・と思ってる人がほとんどではないだろうか。短い此の世ではあるけれど、この世があの世での暮らしを決定するなんて、その入り口だなんて、どうして今までだれも教えてくれなかったんだろう。

 今の時 今の一時 よく惜しめ
  その一時で 此の身助かる     (六六五)

 火花散る 短き世とて 油断すな
  永きあの世の 助けのもとじゃ   (三八三)

 この世こそ 永きあの世の 入り口ぞ
  よく心して つまづくなかれ    (三八六)

これまで「肉体人間のこの私」だけのことを考えて夢中になって生きてきたけれど、この肉体(魄)は影で従のもの、大切なのは本体(主)である霊魂なのだ・・・と分かったら、「あの世」があって霊魂の自分が永久に生き続けるものなら、これからは自分の「霊魂」の帰趨について少しは真剣に考え直さなくちゃあ。肉体は霊魂磨きのために一時授かったものだと知った以上、このまま本末転倒した生き方ばかりしていちゃあ私、何かとんでもないことになりそうだから・・・・・・。何かこう、これまでの世界観がまったく変わってしまいそう・・・。

 目に見えぬ 吾が霊魂こそ 本体ぞ
  永久に生きゆく 神の御分かれ  (一五七二)

 あの世にて 千萬年の 修行をも
  此の世只今 この一時ぞ      (六二七)

 此の世にて 肉の衣を つけること
  修行早むる 神のお慈悲ぞ     (六三〇)

 此の世なる 只一時の 間こそ
  いとも尊し いとも惜しけれ    (六二八)

 此の世なる 尊き時を 仇にすな
  とく急がなむ 神の道へと     (六二九)

真面目に懸命になって神様のおっしゃる通りに心磨き・心の癖直しに励んだら、若い私だって本当に救われるというんだったら、身魂の成長を目的としたこの「行」に挑戦してみようかな・・・。

 此の時を 只大切と 生きてゆけ
  三十路を越えぬ 身でも助かる (一五七〇)

以下には「あの世とこの世」に関する御神歌集を抜粋して掲示しておくので参照されたい。

 うたかたの この世この身は 神まかせ
  祈れさきの世 祈れさきの世   (二二九)

 うつし世の 情け心を とりすてて
  神の情けの 真心を知れ     (二九四)

 うつし世の 人の情けは 仮のもの
  まずとりすてて 神にすがれよ  (二九五)

 あの世とて 良き国もある また悪しき国
  とりどりなるぞ よく心せよ   (三九〇)

 吾が知恵は この世あの世の 差別なし
  氏子ゝの 又差別無し      (三九八)

 差別ある 様に見ゆるは 氏子等の
  各々持てる 業のためぞや    (三九九)

 あの世から あの世へ通う 道遠し
  神の導き なくば歩けぬ     (四五八)

 うつし世の 事はかりそめ あの世なる
  ことのみ祈れ それが第一    (五四七)

 先の事 知るも知らぬも 神任せ
  神と行く身に 指図は要らぬ   (五四八)

 此の世とて 神のみ国の 中にあり
  心澄むなら それが判るぞ    (五七六)

 神の世と 霊魂等の世と 共にあり
  いづれへ行くも 心一つじゃ   (六〇二)

 現し世の 事ものべたり 先の世の
  事も述べるが 神の道なり    (八七四)

 生き死にや 世の悩みをば 知りはせで
  何現し世の 事計らうぞ    (一一七一)

 生まるゝも 死ぬるも神の 念にして
  神の御手にぞ 計らはるなり  (一五六二)

 生まるゝは 己が力に なき事ぞ
  生くるも死ぬも 神任せなり  (一五六三)

 此の世をば 仇な世なりと 思ふなよ
  永久に助かる もと造る世ぢゃ (一五六八)

     (「神の道」より)