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生きることの意味2

人は何のためにこの世に生まれ出でたのか、即ち人生の目的とは意義とは一体何かについて、誰でも自分なりにシッカリ掴んでいるつもりでいる。

しかし、よく聞いてみると大抵それは健康や金銭物資の豊かさ、権力、名誉、地位など等、この世の第二義的な外流に属することばかり…というのが本音であろう。この世にはそれほどでもない者がひょんなことから大成功したり、人の引き立てやおこぼれ・お手盛りにあずかって思わぬ高い評価を受けたり、何らかの賞をもらったりと、世渡り上手な輩や口先き上手の要領のよい者がどうしたことかマスコミに騒がれたりして一躍、「時の人」になるということがある。こうした時、大抵の者は周りのおだても手伝ってスッカリ調子に乗ってしまい、もともと大した実力もないのに己を過信して慢心して、あたかも世界を支配する王様にでもなったかの如く直ぐに威張り出すに至るものであるが、こうした者を易経の世界では「小人」と言っている。

このように、志の低き者、人品の卑しい者に限って、人生の本義というものをまったく知らず、愚かにもこの世の僅かの富や位に酔ってしまうものである。老婆心ながら、あの世で、行くべき道を見失い、苦しまなければよいのだが…と思えてしまうことしばしばである。

  うつし世の 富や宝や 位など
   肉の衣の 身にある迄ぢゃ  (五〇八)

  目に見ゆる 肉の衣や 物はみな
   何れはかなく消ゆるものなり (五〇六)
 
  やがて散る はかなき物を 今捨てよ
   永久(とわ)に生き行く 心定めよ  (一五九五)
  
  仮の世に 仮りの業(わざ)する この身なり
   この身を捨てよ 心のみなり    (五)
  
  世の中の 事はおゝかた 影法師
   そのままほっとけ すぐに消えるぞ(三六)
  
  すぐ消える 影を目あてに 歩くなよ
   つまずきや 罪が大きいものぞ  (三七)

  現し世の 富も位も 積む雪よ
  やがてはとけて 跡かたもなし (一九五四)
 
今の世では「至徳を成し、道を行うためである」とか、「己れの霊魂の完成・成就のため」などといった答えは、余程求道の心の篤い人か、宗教書を通してあるいは何かの宗教に凝った人の口からしか聞ける言葉ではないであろう。大抵の者は、自分は偶然に此の世に生まれ出たものと思っており、此の世こそが全てのすべてと思い込んで一生の人生設計を立てて暮らしており、且つそれに深く囚われ切ってしまっている。

従って、人間死後の世界のこととか、死後の霊魂の帰趨などついぞ考えてみたことも無く、又そうしたことはどこかの物好きか、その方面のマニア達の単なる気迷いにしかすぎないと内心小馬鹿にしているものである。

そういった者に限って、自分はこの世の中のことは何でも知っているとばかりに悟りすまして生きているものであるが、己れの無知さや馬鹿さ加減は到底分かっておらず、また「憐れな者よ」と神仏を深く嘆かせていることには自身、全く気付いてもいないのである。神霊は、そのような者は「人間ではない」のだと教えておられる。

     (神の道より)