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何よりも 神の願ひは

神と人、産土神(氏神)と産土(氏子)とのこうした霊的繋がりを、現代人は今やすっかり喪失してしまった 終戦直後の物資不足の暗闇の世である。多くの人々が住まいや衣服、飲み物・食べ物に困窮して悲惨な状況にあり、また亡くなられた国内外の多くの御英霊たちも共に救わなければならぬ時である。民草の苦しむ姿を見て、神々が如何に嘆き心を痛めて、且つその救済を急いでおられたかがよく分かる。

急がねば 悩める氏子 数多し
神の嘆きを よく知らせばや

悩み苦しむ人々や霊魂らを救うには、それだけの霊力と、まことの神の教えとが必要である。何の力量も無い、単なる人間では到底救い得ないことは言うまでもない。そのためには神が為さしめる「行」によって、自己の身魂を磨き上げ、自らが神になり、神力を発揮し得る人間になることより他に無い。

やがて来む あるじの神の 座は近し
神は急ぐぞ 神は待たぬぞ

あるじこそ 神の選びし 人なるぞ
夢心して その身汚すな

うたかたの その身はすでに なきものぞ
捨ててかかれよ 神のみ業に

誰でもが自分やその家族の日々の生活で手一杯の時である。それなのに神霊は牟田氏に対し、吾が身の事は捨て置いて、死んだ気になって「他がために生きよ」と教えられるのである。そして、人々に神の道を伝えるときには己が我を出さず、己れの心は唯ひたすらむなしく為して、ただまごころで伝えよ…と教えておられる。

吾が教へ 広め広むる 言の葉の
汚れなからむ ことこそ祈れ

み教へを 伝へるすべに 曇りなく
氏子頼むぞ 神の悲願ぞ

持てるもの 捧げつくして それからぞ
神の世界の 住む人となる

み教へを 広むるてだて 何もなし
ただまごころぞ ただまごころぞ

神霊の導きのままに修行され、それがやっと総仕上げの時が来て、牟田氏を使っていよいよ「神が世に出る」時が来たのである。次の歌によってそれが分かる。

あら嬉し 神のみ業の 修行をば
ここに終りて あるじいでたつ

これまでの修行によって、やっと、牟田氏が神を祈れば直ちに神と通じ、神の息吹(神気)が通う身になったという訳であり、神霊は「ただ一筋に拝め」と教えておられる。

おろがめば 神の息吹が 通ふなり
只一筋に おろがみまつれ

これよりぞ 人の助かる 神の道
広まらむ日の 近づき来る

神霊の願いは、氏子等の目の前の苦しみや一時的な問題の解決……というだけでなく、またこの現し世で助かるという事だけではなくて、先の先まで、つまり「あの世まで助かる」事を心底望んでおられることである。

何よりも 神の願ひは 氏子等が
さきのさきまで 助からむ事

(『日本神道の秘儀より』掲載)