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鎮魂の祈り

東日本大震災後、鎮魂慰霊に関わる事が多く報道されました。
 例えば、震災で家族を亡くした方が、住まいも仕事も無くし、仏壇・位牌・墓までも失い、菩提寺も被災している中、当人は避難所や仮設住宅で暮らしている。そこで初盆はどうするのか…。
 また、家族が行方不明のまま葬儀も出来ず、月日が過ぎていくと苦悩する人。年中行事の夏祭りが行われない鎮守の杜(神社)。放射線汚染で避難して、一度もお寺に帰れぬままに、檀家さんの葬儀も法事も奉仕できず、お彼岸を過ぎお盆を迎える僧侶。

 震災の被害は心の拠り所である、神仏先祖と共に過ごす場や時間さえも奪ってしまいました。

それは故郷を離れて暮らす人々にとってお盆には里帰りし、お仏壇に手を合わせ、お墓詣り、夏祭りなどで親族やご近所などの知人と触れ合う、懐かしの故郷を無くしてしまったのです。

 震災の災害救助に自衛隊や消防隊をはじめ多くの公務員や一般人が誠心誠意務めて下さいました。
国家の危機と言われるこの折に、終戦記念日に閣僚は誰一人靖国神社を参拝しませんでした。
国家のためや人のために誠心誠意奉仕され、そしてその上で尊い命を殉じられた方の慰霊にも行かぬ国の指導者達。
あからさまに利害に走り、「ウソつき、サギ師、ペテン師」と仲間内で呼び合い、その自分たちの後ろ姿を子供達に示して、未来を託そうと言うのでしょうか?

 日本人は見知らぬ行き倒れの者であっても手厚く葬り、その土地の季節ごとの慰霊を行ってきました。また、戦争において、たとえ敵であっても死者に対して畏敬の念を持って接して、決して遺体に対して不敬なことはしませんでした。そして食用にしている動植物にさえ慰霊供養や感謝祭を行っていました。自分たちの生活や命に関わるあらゆることに、鎮魂慰霊の祈りを捧げるのが我が国の流儀であったはずです。

 鎮魂慰霊とは自らの先祖は言うまでもなく、その土地に関わる死者を手厚く慰霊することであり、そのことによって一家一族をはじめその地域全体が幸せになり繁栄すると信じて行われてきました。
 昨今の日本人は功利第一主義と言っていいほど、昔の日本人の面影は失ってしまっています。

 死者へどのような態度をとるのか、そのことがその人やその家、国の将来を決すると思うのは私だけで無いと思います(因果応報の理)。鎮魂慰霊ということを、自分たちの命の重大事として見直さなければ、必ず取り返しのつかないことになるでしょう。鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳の噴火、東日本大震災、その予兆はもうすでに始まっているのですから…。

先祖慰霊の大切さに気付いた方からまずご自分のご先祖のことを調べ、徹底して慰霊供養してください。目に見えぬご先祖が霊魂としておられる事を実感し、ご先祖との接し方や死者や死という事について、人生の知恵として思いを深めてください。
 例えば、先祖の慰霊をするには幽世の大神や産土の大神にお願いして、その後に仏様にお願いするのが幽世の定めであること。目に見えぬ神仏にお願いして、はじめて霊魂となった先祖に祈りが通じること。つまり、神仏、霊魂の存在を信じない者には慰霊なんて事は一切出来ていないこと。未浄化な先祖霊の影響を受けている信心のない者が多いこと。
などなど…。

先日、竹田恒泰さんの講演会で天皇両陛下が硫黄島に慰霊に行かれた後の自衛官の不思議な体験談を聞きました。硫黄島では以前より、冷蔵庫のペットボトルが動いたり音を出したりすることが、日常的に起こっていたそうです。硫黄島では地下壕の中で、飲み水もなくて亡くなった方が多かったと言われています。ところが、天皇様がおいでになったその日から、硫黄島ではその現象は一切起こらなくなったそうです。

 申し上げるのも恐れ多いことですが、それは並々ならぬ陛下の鎮魂力の現れであります。それは大御心と言われる私心なき慈愛であり、無心の愛や真心とも呼ばれる、神に通じる力なのです。
 鎮魂力によって神に通じてこそ、真に慰霊がなされるのです。私どもは陛下の御存在やその行幸がどれほど有り難いことなのか深く感じます。そして、その祈り(御心)に寄り添って暮らして行くことが日本の精神生活なのです。

高宮八幡宮 宮司