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お盆と英霊・施餓鬼

古来よりお盆と正月は、先祖が帰ってこられるということで、魂祭(祖霊信仰)を中心にした行事を行っていました。お盆はそこに道教(中元)や仏教(盂蘭盆会)の影響を受け、新仏や無縁仏の施餓鬼の行事が強調されています。
そして、戦後は終戦の日とあいまって、英霊や戦没者を祀る日ともなっています。
先祖をはじめ死者を祀ることは生きている人が当然すべきことであり、家(一族)や住まう地域(ご近所)で行われていました。今でも、道沿いや共有地に小さな祠やお地蔵様が祀られているのを見かけます。
この 死者を祀ることは命の元を大切にすること であり、この世の幸せや安全を担保する事であると考えられてきました。それで、各家や地域で同じ日に死者を祀り、災禍厄難を除き、五穀豊穣、繁栄を祈ってきました。

近頃、死者を祀る重要性が軽んじられており、その意味さえもわからない始末です。これは伝統が失われる寂しさという感情論でなく、価値観、生き方、道徳、社会秩序に関わることです。そして、少し昔なら死者を粗末にするなんて事は「罰当たり」「親不孝」「人でなし」と呼ばれる行為であり、その結果として不幸災難が訪れるのも当然とされています。
人が死んだ後、霊魂も何もなくそれですべておしまいなら、慰霊なんて事は迷信であり気にもしなくて良いのですが・・・・。

神仏先祖が居られると実感する者にとっては、今の状況は〝恐怖・不安〟そして破滅への序章と感じられます。
その顕著な現れは精神疾患の増加です。神社に持ち込まれる相談事は、そのほとんどが多かれ少なかれ精神病的な症状を含んでおり、その背後には「ケガレ・未成仏霊」の波動が強く感じられます。その相談の数はこの十年で急激に増えております。これは家庭毎の問題にとどまらす、社会全体に大きな影響を与えています。巷には心療内科クリニックが急増しているのを見てもお分かりになると思います。

今年の八月十五日は靖国神社に閣僚の参拝はありませんでした。死者を祀ることはこの世の幸せや安全を守ることですから、これから国や国民にとって大変なことが続くと心配するのは私だけではないでしょう。
これは政府が悪いというようなことでなく、英霊をはじめ、地域で祀る御霊、家ごとの先祖を祭祀していくことは、等しく国民が背負うべき責務と考えます。それでお気づきの方は〝自分の至らなさ〟を神、仏、先祖、英霊にお詫びして、お祈りいただければ幸いです。
そして、現世利益を求める訳ではありませんが、神仏に英霊や先祖のことを祈れば必ずお返しがあるものです。ご自分の先祖は当然のことながら、英霊や無縁の御霊も祀ることは世の平安を保つことです。世のため人のため祈ることが先祖を救い、ひいては自分や家族を救うことになります。

見えざる神仏先祖に生かされている私たちであること、それに気付いた方から日本人本来の生き方にたち帰っていただきたいと念願しております。

今まで取り立てて何もされていなかった方は百日行をしていただくのが、一番簡潔で有効な方法のようです