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 神々の恵み 21
平成20年3月
日常生活のお祓い(祓へ)]
 奉納と奉仕 (布施)

 神仏に奉納として金銭や物を納めることや奉仕というサービスの提供はお祓いを受ける事や禊ぎすることとは見かけは違いますが、いわゆる罪業消滅して災禍厄難を防ぎ、お祓いをすることと同じく平穏無事、開運隆昌をもたらすとされています。

 公という世のため人のために奉仕するという精神が自らの人格を高め、神の加護をもたらします。また、子孫の積むお徳によって御先祖は救われ喜びを得ます。そうしますと、御先祖の浄化と喜びが現世の子孫に色々なお蔭としてもたらされます。
これは「陰徳の家には余慶有り」と言われるものです。
 仕事などの物事が上手く行かないときに「不徳の至りです」と言いますが、過ちを犯したわけでもなく、能力に問題があったわけでもないとき…、つまりお徳が足り無かったと言うことなのでしょう。事業を興すときなど三年間お徳を積んで用意しろと言います。「徳」至れば自ずから道は開くと言います。そうなれば果報は寝て待てと言うことなのでしょう。

特に御先祖が代々お仕えされている神社に子孫が御奉仕することは大変な功徳になります。それと、子孫が立派に御奉仕していますとすぐれた御先祖方がそのお宮にお使いさせて戴くようになります。先祖と子孫が一緒にお仕えしているこの状態になっていることが産土神(氏神)と産子(氏子)の本来の関係と思われます。また、産土神、氏神はその地域の人の命を守り死後も魂を導く神ですから、その土地に住む者にとってそこに御奉仕することは人として当たり前のことであり、先祖と子孫が共に助かり幸せになる道であります。それにより、家に長年積もった罪業、因縁も少しずつ解除できるように導かれ、人として人格や魂が成長できるよう見守られ、世の中によい影響を与えられるように成らせていただきます。

 そしてこの御奉仕が神社などに直接でなくても、世のため人のためになる善行であれば神は必ず受け取られます。そして、神仏、先祖への尊崇の念があればよりご守護をお受けになることでしょう。




 
 神々の恵み 20
平成19年12月
日常生活のお祓い(祓へ)\
 年中行事と人生儀礼

 お正月、節分、雛祭り、春の彼岸、端午の節句、夏越しの祓、虫送り(獅子祭り)、お盆、十五夜、秋の彼岸、おくんち(秋祭・収穫祭)、七五三、冬至、煤払いなど年中行事の中で大きな行事だけでもこれだけの数があります。

 人生儀礼とも呼ばれる通過儀礼は、岩田帯(安産祈願)、出産祝い(安産御礼祈願)、お七夜、初宮、お食い初め(百日)、初節句(生育祈願)、七五三、元服式、結婚式、年寿祭(還暦・古希・喜寿等)などがあります。

 じつはこの年中行事と人生儀礼は日本人の先祖が長い時間を掛けて築き上げた生き方の叡智です。人はこれらの行事や儀礼を通じて産土の神の治めている地縁社会と同じ祖先を持つ血縁社会と関わりを深めていきます。そして、人々の暮らしに秩序を与えバランスを取り、人間関係を整えて行きます。
 年中行事・人生儀礼の中にある「晴れ、お清め、慎み…」を通して生き方を見直しながら、神・先祖の世界と通い合って、その度毎にこの世を秩序あるものにして暮らします。このことを神道では修理固成(しゅうりこせい)と言っております。

 今、家族のあり方が変わり「家」(血縁)というものが希薄になり、また「地域共同体」(地縁)という繋がりもなくなりました。そして年中行事と人生儀礼を軽視して、人々は個々に縁の切れた個人の集まりとなり心の拠や魂の拠も見失っている状態です。
 そのような中で「癒し」や「スピリチュアル」、「自然」、「スロー」、「ペット」などに心の安定を求めています。

 しかし、この様なものでは人は本当に癒される、心休まると言うことは出来そうにありません。以前のような社会にはすぐに戻れませんが年中行事と人生儀礼の意義を見直すことにより、本当に人に求められるべき生き方を見直し、神と先祖にふれて、心身と魂の自然の力を回復しましょう。

 世の中が進歩するほど人の精神肉体は脆弱となり病み、文明はより重大な生命の危機をもたらしています。人は最期にはいかなる手立てよりも、神を奉じ人の誠を信じるしか道はないのではないかと思います。





 
 神々の恵み 19
平成19年9月
お祓いの神
 祓戸神

 お祓いをお願いする祓戸神(はらへどのかみ)は風、水、川、海などの自然の神々です。その中でもとりわけ海すなわち海神(わたつみ)が中心的存在です。

 神社や民間信仰でも潮垢離(しおごり)といって海水で禊ぎしたり、塩湯(えんとう)といって温めた海水でお祓いいたします。これらは大事な祭典のお祓いや病気平癒時などで行われ、強い祓いの効果を期待されて行われます。
 祓幣にワカメなどの海藻を取り付けるところもあり、これも海神を表したものです。

 その海のエッセンスが塩です。ゆえにお祓いには海の象徴としてお塩を使うわけです。

 そして、海や塩を特に強調するその理由を考えますと、古来より日本人は海(海=産み=宇美)が命の始まった場所であり生命力を高める力があると感じられていたのではないかと思われます。また、塩については塩の浄化力、殺菌力を知っていたでしょうし、調味料保存料としても貴重な最高のものでした。
 それにましても、感性豊かな昔の日本人は自然そのものが持つ力やそのものから発する波動のようなものを、直接的に感じていたのだろうと思います。どなたでも禊ぎ潔斎を長年続けていますと祓われる浄化するということを体感できるようになります。そうしますと水や塩やとりわけ海水、海辺の浄化力は驚くほど顕著に感じられるものです。

 十月までは海水は温かいので手足を濡らしみてください、気持ちよく上手に海に入りますと気の流れが整い驚くほど体調がよくなるものです。ちなみに当社の海の禊ぎのシーズンは十一〜三月の間です。




 
 神々の恵み 18
平成19年6月
日常生活のお祓い(祓へ) [
 気の話(清濁・高低)

 参拝者が当社にお詣りされて、清々しい気分なれたとか、肩こり首のつまりが取れた、リフレッシュできたなどということを近頃ではよく伺います。また神主が祈願中に祈願者について様々な事(心配事・病気・先祖)についてお知らせをいただくことがあります。
 参拝者が清々しく感じるのは境内の清浄な気にふれ浄化してケガレを落としたわけです。神主がお知らせを受けそれとなく気付くのは清浄の気のなかに不浄の気(邪気)が入り込んだから起こったことです。これらのことは気の一部と考えられます。さらに気よりもっと微細な波動があることもわかります。

 御祈願を真剣に行っていると、お祓いは気分の問題でなく間違いなく祓われるべき対象が有ることを知ります。それが時には通り一遍のお祓いや御祈願やご供養ですむものではなく、その人の生き方、性格、家族、子孫そして、死に様と死後の魂の行方にまで関わる問題であることが解るようになってきます。
 そして、神仏、先祖の実在≠ニありがたさ≠ェ身に染みて感じられるようになりますが、これらのことも広く言えば気の働き≠フ一部なのです。

 このような事を感じるようになりますと気にパワー(出力)と言うより清濁・高低ということが大切に感じ意識されるようになります。

 神道の修行は浄心に始まり浄心に終わる≠ニ言われますが、「人の心」・「人の思い」から発せられる波動を感じるようになりますから浄心の大切さを切実に感じ取るようになります。また、神道では「浄明正直」=「浄く、明く、正しく、直く」と言う徳目を上げますが、それらの事について感性的に理解が深まり、自然から多くのことを学び知るようになってきます。浄心を心掛けると自ずと清らかな気品が身に付いてきます。
 これは信仰が深まるにつれて起こることで、高宮八幡宮の崇敬者でお祈りをされている方には気の清濁について自ずと理解されることを願っております。

 しかし、世間一般(マスコミ等)では祈祷や気功、ヨガ、霊能、チャネリング、ヒーリング、などに関わるほとんどの人が気の清濁(浄心)を理解できていません。そして興味(商売)本位に霊性開発・治療・ヒーリングと称して、自らも正しく理解できていないことも知らずに無批判にケガレた気を流し、さらにそのケガレに乗じて入ってくる妖魅・邪霊に、相手共々神授の魂ごと穢されている、まことに危険極まりない状態であります。 
 神々の恵み 17
平成19年3月
日常生活のお祓い(祓へ) Z
   心の清浄 感情

 信仰(実はこの世に生まれてきた目的=人の子の務め)とは浄心に始まり浄心に終わるもの、または真心を練り鍛えることであるとされています。心を乱し、濁し、穢すなとも言われます。心の浄化には感情のコントロールが必修です。七情(怒・喜・憂・思・悲・驚・恐)と言われる感情の働きが内蔵や血流、ホルモンに関係していると考えられ、心を清浄に保つことは健康の秘訣でもあります。
 浄心の最初には心の切り替えをして心を統一して行かなくてはなりません。ストレスの多い現代ではこれがうまくいかないと心身症に注意が必要になります。その心の切り替えは多種多様な方法があるでしょうが心の浄化を考えますと「お祈り」をすることが一番です。
 お祈りとはお願い事をすることとは違います。まず、心を統一することによって、心身共に自然な状態に戻ります。無心と言うと難しくなりますので、欲を離れる、私を離れる、つまり誰がために祈ることや自分の足らざるを補い少しでも立派な人にならしていただく、世のため人のため自分を使っていただくそのようなことを祈ればよいのです。
 清浄になるように正しく祈りますと汚れた気が体から離れていくようになります。そして、浄化が起こって清浄な心や雰囲気を保つようになります。自ずと人格が磨かれ顔つきや言動に表れてきて、その清浄な雰囲気がその人から発散されてきます。それが家の中や衣服にも付いていきます。清浄の気は人や家や場所(空間)にもありますから、それがあるところは清々しく感じられ体が楽になり心に活力を与えます。
 汚れた汚気があるところはその逆にストレスを感じるところとなります。ですから、清浄に神棚を祀ることは大変意義深いことであり、マンションであれ、借家だろうとも是非お祀り下さい。神棚を通して熱心に祈り続ければ、ケガレを祓う清浄の気(神気)は人の真心に必ず感応して降りてくるようになります。   
 神々の恵み 16
平成18年12月
日常生活のお祓い(祓へ) Y
 初穂料とお賽銭

 神様に奉納する(物やお金を上げる)ことは徳を積むことと共にお祓いになります。人に物や金銭を差し上げる、つまり贈り物をする、御馳走をすることなどもお祓いになります、人にお願いごとをする時にお礼として心付けを渡しますが、これらのことも実はお祓いになるのです。ですから人に振る舞うことや接待することを習慣として持っている人は知らず知らずのうちに厄を除けさせてもらっているものです。また、人のために労を惜しまずお世話することや自己犠牲をともなう行為はお祓いの意味を持ちます。これらのことは感謝やお礼の気持ちを持つこと、そしてそれを形にして表すことであり、祈りのとても大事な要素なのです。
 
 お賽銭箱にお金を納めるのはお祓いの意味ですが、施餓鬼や萬霊供養にて食べ物を供えるのと同じ意味になります。ですから自分のケガレや連れてきたモノをお祓いする意味になります。つまり神様にお供えする意味とは少し違います。

 お初穂は金額の多寡にかかわらず、のし袋などに入れてお供えしますから、正式な感謝の御印や正式なお願いをする時の御印となります。お礼参りやお願い事がある時は御祈願をしない時でも、のし袋に入れてお上げするのが神霊に対する礼儀にかないます。
 神仏・先祖は目に見えないだけに、より厳重に礼を尽くすことが大切になります。礼は霊に通じると覚えておけば失敗しなくて済みます。

※ 祓へとは

 自らの過ちを省みて正していくことです。その素直な心に産土神が臨まれお祓いを受けます。罪穢(ケガレ)れという、因縁・罪過を消し、大難を小難、小難を無難とすることが出来ます。 今日一日の罪穢れは今日の内に神様にお祈りしてお祓いしていただくのが一番の幸せの基です。そのけじめとして月参り(朔日・十五日)や初詣があります。
 
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