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教育勅語の真義 3          国民文化研究会 副理事長 小柳 陽太郎


平成19年3月 社報やまもも第36号より
勅語を貫く「信」
 このように読んでゆけば、先ほどの森さんの発言に代表されるような、中にはいいことも書いてあるが、国家主義的な、いわゆる皇国史観的な表現は困るというような考えがいかに的外れな、いい加減な感想であるか、おわかりいただけると思うのです。そのように考えてゆけば、最初にお話し申し上げたように、「教育基本法改正」にとりかかる前に、改めて「教育勅語」を正しく読みなおすこと、そして其の中に明治天皇の、溢れるような御心を偲び、目前の問題に左右されることなく、そこに焦点をしぼって、これからの日本の教育のあるべき姿を考えることがいかに大切なことであるかと思われてなりません。
 ただそのようにいえば、それは「教育勅語の復活」なのかとお考えになるかたがいらっしゃるかもしれませんが、それは私が申し上げたいこととは少し違う。というより「教育勅語」を否定するとか、排除するとか、また逆に復活するとかいうことそのことが、いかにおかしな発想であるか、それはこれまでのお話、特に第三段、最後のお言葉で明らかなように、この「教育勅語」が天皇御自身の、国民に呼びかけられた痛切な、御心情の御表現だったことを思えば明らかです。そしてそれを裏づけるように「教育勅語」には他の詔勅と違って、文部大臣などの副署がないのです。ということは後日、いかなる政界の変動があろうとも、それによって微動だにしない、天皇ご自身のご心情を吐露された御文章だったからでした。そのことを思えば、終戦後、占領軍の強制によるものとはいえ、衆議院、参議院で「教育勅語」の「失効」の決議を行ったということは、この間の事情を全くわきまえなかった愚拳だった。だからといってその「失効」を否定して「復活」の決議の為の運動を推進しても、結局は政治運動の次元で終わるでしょう。そんなことよりも今すぐ取り組むべきことは、繰り返し申し上げましたように、この「勅語」に込められた明治天皇の御心を偲び、とりわけ勅語の第一段に述べられている、長い歴史の中で培われてきた「教育ノ淵源」としての日本の国柄に心を寄せることだと思うのです。
 ただここで大切なことは「教育勅語」の中で述べられたことを、頭で整理することよりも、「朕爾臣民卜倶ニ」の「倶ニ」、「其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」の「一ニセン」という言葉に示された「君臣一如」の世界を実感することでしょう。ご教訓の内容は私達も、知識としては知っているかもしれない。しかし、その道を国民と共に歩んでいくことに、これはどの無上の喜びを求めておられる一国の指導者は、他のどの国に求めることが出来ましょうか。聖徳太子の「十七条憲法」の中に「信は義のもとなり」というお言葉がありますが、義、すなわち人々が踏み行うべき道といっても、それに「いのち」を与える「信」がなければ、単なる観念に終わってしまうでしょう。「教育勅語」の素晴らしさは、まさにそれを貫く、天皇の「信」のお力です。国民に寄せられる思いの深さです。そこに「教育勅語」の真髄があるのです。
 では最後にその天皇のお心の深さをお偲びするよすがとして、日露戦争の頃お詠みになった明治天皇の御製(お歌)を二、三ご紹介しておきましょう。

 民草の うへに心を そそぐかな
 雨しづかなる よはの寝覚に

 明治三十七年、日露戦争も最中のころ、夜も更けてふと目覚めると、しずかに雨が降っている。万物のいのちをはぐくむ雨。深夜、聞こえるのはそのしずかな雨音だけですが、その中で天皇はあの雨が大地を潤すように、いま、必死の戦いを続けている民草のうえに心を注いでお偲びになるのです。そこにあるのはただ天皇と民草にかようこころだけ。「君臣の情」の御表現として、たぐい稀なお歌でしょう。「民草のうへに心をそそぐ」、とりわけ「そそぐ」というお言葉に、民草を思う溢れるような民草への御心がしのばれます。

 はからずも 夜をふかしけり くにのため
 いのちをすてし 人をかぞへて

 このはげしい戦いの中で多くの人が戦死してゆく。その戦死者に思いを馳せてゆくうちに、いつのまにかすっかり夜もふけてしまった。ふと我にかえられたときの沈痛のおもいがお歌全体に溢れる御製です。最後は「人をしのびて」ではなく「人をかぞえて」なのです。「かぞえる」というお言葉の中にも深い御心情が偲ばれます。

 暑しとも いはれざりけり にえかへる
 水田にたてる しづを思へば

 いたでおふ 人みとりに こころせよ
 にはかに風の 寒くなりぬる

 はじめは銃後の、にえかえる水田ではたらく人々のうえを、次は急に寒くなってきたため戦傷者のつらさをお偲びになったお歌、先に拝誦した「民草のうへに心をそそぐ」とはこのような御心境なのでしょう。
 そして戦いが終わった次の年、明治三十九年には

 国のため うせし人を 思ふかな
 くれゆく秋の 空をながめて

と詠んでおられます。「くれゆく秋の空をながめて」のお言葉が身にしみます。


おわりに

 「教育勅語」の最後にお述べになった「朕爾臣民卜倶二」というお言葉の中には、このような「民草へのふかいおもい」が込められていた。「教育勅語の真義」、それはこの全文を大きく包み込む天皇の「信」をお偲びする時に初めて明らかになるのです。このように見てくれば、「教育勅語」は日本の長い歴史を一貫して受け継がれた「君臣の情」、それに支えられた人々の生き方の凝縮された表現といっていいでしょう。
 二十世紀のはじめ、インドにタゴールという、日本の明治の思想家、岡倉天心の強い影響を受けたすぐれた詩人がいましたが、この人が昭和の初めに日本に来たとき、その時は天心はすでにこの世を去ったあとでしたが、若き日に天心がインドの独立を励ました言葉を引用しながら、「すべての民族は、その民族自身を世界に表す義務を持っている」といい、「民族はその自分の中にもっている最上のものを世界の人々に示さなければいけない」と日本の人々に訴えました。 日本民族のもつ最高のもの、それを凝縮して表現したもの、思えばそれこそ「教育勅語」ではなかろうか。この「教育勅語」についてさまざまな誤解を排除して、その真義にかえる日をと念ずるばかりです。
教育勅語の真義 2          国民文化研究会 副理事長 小柳 陽太郎
平成18年12月 社報やまもも第35号より
「第一段」
最初の「朕」はいうまでもなく天皇の第一人称。次の「我カ皇祖皇宗」の「皇祖」は天照大神をはじめ祖先の神々、「皇宗」は神武天皇以来の歴代の天皇のことですが、最初の「我カ」については、昭和天皇の皇太子時代、御進講申し上げた杉浦重剛は、これは「朕」とは異なり、複数で、我ら全てのという「温情溢れる御こころ」からお宣べになったものである。従って文部省の教育勅語の英訳文にも0URと訳しているといっておられます。ということは、「我ガ皇祖皇宗」は天皇だけでなく、日本民族全ての命の根源であるということでしょう。次の「国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」は国が成り立ったのは遠い神代の昔のことであったということ。「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とは何が正しく何が間違っているかという価値判断の基準が遠い昔から、人生観の一番深いところに根ざして受け継がれてきたということでしょう。この日本では外来の文化を受け入れるよりもっと遠い時代から、本質的な善悪の判断が民族生活の奥深くに培われてきたという歴史的体験が語られていると思われます。「我が臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ」、克くとは能くと同じですが、強く、また重々しく言う時の表現です。「億兆心ヲ一ニシテ」はすべての国民が心を一にして。そのあと「世々厥ノ美ヲ濟セルハ」とつづきますが、この言葉は本当に美しい。そこには咲き誇る花のように美しい日本の国柄が「国体ノ精華」の「華」という言葉と響きあって見事に表現されていますね。「正しい」のではなく「美しい」のです。そしてそこにこそ日本の教育の源がある。「教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」。ここで「教育勅語」の第一段が終わるのです。これまで辿ってきた、長い歴史の中に、民族的経験の中に、これから日本の教育によって立つべき源がある。ここには「教育基本法」などとは絶した素晴らしさがある。それはここまでをお読みになっただけでも誰の目にも明らかでしょう。

平成18年12月 社報やまもも第35号より
「第二段」
これから第二段に入っていきます。そこでは「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、」というように人間としての生き方についてのお示しが記されていますが、最初に申し上げた、森さんの考えからすれば、「朕惟フニ」というように「天皇」から始まったり、「国体ノ精華」というような言葉は問題だが、この「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、…」以下はいいじやないかということでしたね。しかしその二つを切り放して論じるなどということは、およそ幼稚なピントの外れた、ためにする解釈にすぎないので、いうまでもなく第一段でお示しになった「朕惟フニ」から「此ニ存ス」までの教育の基本の上に立って、具体的な人倫、人間関係のありかたをお示しになったのが、「父母ニ孝ニ」以下の第二段のお言葉だったのです。つづいて「恭倹己レヲ持シ」は、つつしみ深く身を保つこと、「博愛衆ニ及ボシ、学ヲ修メ、業ヲ習ヒ」、「以テ知能ヲ啓発シ」知識才能を開き導いて、「徳器ヲ成就シ」立派な人格に、自分を作り上げ、「進ンデ公益ヲ広メ」公の利益を促進し、「世務ヲ開キ」と続きます。次の「常ニ国憲ヲ重ンジ、国法ニ遵ヒ」は憲法を大切にして、ということですが、これも単に憲法の条文に背かないというだけではなく、憲法に示された、人間として、日本人としての正しい道を踏みおこなうという、もっと深い生き方をお示しになったのでしょう。そうして、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」、一たび国が重大な危機に直面したときには、正義に基づく勇気を奮い起こして、国のため、公のため力を尽くし「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」、遠い神代の昔、天照大神が皇孫、瓊々杵尊(ににぎのみこと)に仰しゃったお言葉のように、天地のある限り、窮まりなく栄えてゆく日本の国の将来を守って欲しいとお示しになったのです。
 しかしここで仰しゃった「公(おおやけ)」という言葉に今の人たちは皆つまずくのですね。「公」は全体、それは「私」という個人に対立する。即ち「公」か「私」か、そのどちらをとるかと考えるのですが、一体それでいいのか。勿論これまで歴史上に存在した中国やアジア、ヨーロッパなど多くの専制国家では明らかに「公」と「私」は対立していた。しかし元来、「私」は「公」の中にあり、「公」に包まれて生きている。「公」がなくなれば「私」も存在しないし、「私」を無視した「公」はあり得ない。そのことに今、世界は徐々に目覚めつつあるように思われますが、実はそのような「公」と「私」のあるべき姿は、日本では遠い昔から天皇を中心に生きてきたわが国の国柄の基本を成すものだったのです。従ってこの勅語のお言葉に接するときには、そのような日本の文化伝統、国柄の在り方に深く思いを寄せて詠むべきであって「公」と「私」は元来両立しないものだというような、誤った判断からものを見ることはあってはならないことなのです。ではその次のお言葉「是ノ如キハ独リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」は、このように生きてゆくならば、それはただ私の忠良な臣民であるだけでなく、おまえ達の祖先が遺された立派な生き方をさらに美しく後世の人々に伝えることになるだろうということです。この自分たちの生き方によって祖先の名をあげることを喜びとするという祖先観は日本人の生き方としてとても大切なものなのです、私たち一人ひとりは、それぞればらばらに生きているのではない。私たちは遠い祖先から、遥かな子孫まで、その長い鎖の一つの輪として生きている。だから私たちの一つひとつの行為は全て祖先の人々の心の鏡に映っている。従ってよい行いをすれば、それはきっと祖先にも喜んでもらえるし、それは祖先の美徳を後世に伝えることにもなるのです。その祖先の喜びを自らの喜びとする、このようなお言葉の中にも、日本人の培ってきた倫理観、日本の人々の心を支えてきた生き方が示されていることに注意して読んでいただきたいと思うのです。こうしてこれからの人々の生き方について、具体的にお述べになった第二段がおわり、最後の第三段にはいっていかれます。

平成18年12月 社報やまもも第35号より
「第三段」
  「斯ノ道ハ」はこれまで述べてきた生き方は、「実ニ我が皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ」皇祖皇宗(前述)がお遺しになったお教えであって、「子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所」みなが心をあわせて遵い守るべきものであるが、「之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ」それは単に、今の時代を生きる人々にとって大切な生き方だけではなく、日本が日本であるかぎり、どのような時代であろうとも一貫して守るべき道であり、また全世界の人々にも十分に理解してもらうことの出来る、人間として守るべき道であるという、ゆるぎない確信をお示しになっているのです。そして最後に、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と結ばれるのです。この最後の一節はとりわけ大切です。と申しますのは、この「教育勅語」は天皇が高いところから、人々にその生き方をお示しになったものではない。天皇御自ら「拳々服膺シテ」、すなわち謹んで捧げ持つように、片時もその身を離すことなく、「咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」咸は皆、君民が一体となって、自分もおまえたちと一緒になって、同じ道徳生活の中で生きていきたいと、切に望むことである、と結ばれるのです。それは単なる御教訓ではない。敢えていえば、天皇御自らの御決意の表明であり、お祈りの御表現であったと言っても過言ではないでしょう。       〈続く〉